「感じる」ことと「考える」ことについて

受講した講座で提出した課題について,加筆して転記.


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 本論では「感じる」ことと「考える」ことについて、差異に着目してその意味を説明する.その後,「感じる」と「考える」という観点から「共感的理解」について自分の考えを述べる.


 「感じる」とは「刺激・出来事により,感情を,意図せず自然に」心に生じることである.一方「考える」とは「答え(判断や評価)を出したい為に,答えを,意図的に筋道立てて」導き出そうとすることである.
 「感じる」は,受け身で自然に生じる『状態』であり,「考える」は目的を持った意図的な『行為』であると私は考える.例えば,上司から叱責を受けた時,不満という感情を自然に「感じる」.なぜ叱責を受けたのか(=答え)を「考える」のである.
 なお,関係性について言えば,上記の例のように,「感じる」ことから「考える」ことに繋がることがある.また,上記例で,上司が自分の成長を思って助言してくれたのだという答えを導き出した結果,前向きな気持ちを「感じる」ことがあるように,「考える」ことから「感じる」ことに繋がることもある.




 カウンセリングにおける「共感的理解」とは,カウンセラーがクライエントの「感じて」いることを「考えて」理解し,理解を伝える行為であると私は考える.
 人は他人の感情を感じることはできない.感じることができるのは,自分自身の感情のみである.他人の気持ちは「考えて」理解することしかできない.「あなたの悲しみを聞いて悲しくなった」場合,これは,自分の悲しい感情を感じている,つまり「同感・同情」である.「あなた」の「悲しみ」を「私」が私のものとして感じているわけではない.
 カウンセラーは「同感」ではなく,クライエントの感情をあるがまま受け止め理解するという「共感的理解」を行う.このとき,自分の価値や判断基準といった,いわゆる準拠枠を通してではなく,クライエントの伝えたものをあるがまま受け止めるように注意しなくてはならない.
 クライエントの発言の奥にある感情は何か?なぜこの発言を今この流れでしているのか?といったことを考えて考えて考えていかないと,共感的理解はできないのではないかと私は考える.


 クライエントの「感じて」いることを,カウンセラーが「考えて」理解し,クライエントに伝え返す.クライエントは自分の感情を,意識的に「感じる」(=受け止める,自己一致を進める)ことで,「考える」というステップに進むことができる.そして,新たな気付きを得るのである.